教職員から |  2019/08/21

2019年8月1日(木)・2日(金)に市民大学 和光大学コース「ことばのたたずまい―『モノ』としてのことば」が行われました。

講師をつとめた総合文化学科・遠藤朋之先生から報告が届いています。



 8月1日、2日と、相模大野の「ユニコムさがみはら」において、「相模原・座間市民大学」での講義を行ってきた。「ことばのたたずまい―『モノ』としてのことば」というタイトル。われわれの日常生活において「ことば」は「コミュニケーション・ツール」、つまり「道具」である。しかし、「詩人」と呼ばれる種族にとっては、ことばはときに「モノ」になるらしい。つまり、ことばによって伝えたい意味内容よりも、ことばの別の側面が重要視される、ということ。例えば早口言葉。「なまむぎなまごめなまたまご」。この意味内容は何だろうか? たんに「生の麦、生の米、生の卵」というだけ。しかしその発音しにくさがおもしろさであり、こどもはそれを正確に発音しようとしてできずに、そこで笑ってしまうわけだ。書道はどうだろう? そこに書いてある意味内容よりも、その文字の見た目の美しさ、これこそが重要視される。それと同じで、詩でも「音のおもしろさ」、「文字の見た目」が重要視されるジャンル、「音声詩」や「具体詩」というジャンルがある。それを紹介してみた。
 20名ほどの、大学では教職員以外では見かけることもない年齢層の方々に、そんな詩を紹介する。もう、驚くべき反応! 「この詩、〇〇〇なんて解釈はどうですか?」、「この詩、わたしには〇〇〇に見えるんですが!」、「これ、良寛の辞世の句の世界ですね!」と、こちらも気圧され気味。しかし、その真剣勝負が、本当に楽しい。
 最終日のおしまい、質疑応答の時間に、「わたし、電気回路設計の仕事をしていたのですが、いい回路ができると同僚とのコミュニケーションになるんですね。そしてそれは美しいんですよ」とのご発言。こちらは「本来の目的だけではつまらない。いわゆる『遊び』というヤツですね」と月並みな返答。するとその方、「ホイジンガーの『ホモ・ルーデンス』、『遊ぶ人』ですね」と、さらりと切り返してきた。この講座の目的は、「コミュニケーション・ツール」以外の側面のことばを扱う、そしてそれが実は反転してコミュニケーションになる、というもの。つまり、ことばの本来の目的から逸脱した「遊び」がコミュニケーションになる、ということ。この方にこの講義のすべてをまとめていただいた。
 このほかにも、紹介しきれないほどの興味深いコメントをいただいている。なかには、「小田急で和光大学のそばを通るたび、和光っていい大学だよな、と思っているのですが、今回の講座でその意を強くしました」といったうれしいおことばもいただく。
 さて、学生諸君よ。キミたちが「おじさん、おばさん」としか思っていない人たち、こんなにおもしろいんだよ! どうする? こんな人たちを見習って、これから授業は「受ける」ものではなく、自分たちで「作る」もの、と意識を変えてみよう! 上記は、「おじさん、おばさん」が授業を作ってくれた報告なんだよ。そのこと、胸に刻むべし。


総合文化学科 遠藤朋之




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